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スクール特集(東京立正中学校の特色のある教育 #7)

生徒への熱い思いは変わらない! 親子2代で通う東京立正

生徒たちを幸せにするために、学校改革を進めている東京立正中学校。教員たちは、かつて卒業していった生徒の成長も見守り続けている。親子2代で通う東京立正の魅力とは?

1926年に立正高等女学校として設立し、2026年には100周年を迎える東京立正中学校・高等学校。1937年に落成した「岡田日帰上人記念講堂」は、2022年10月に国の登録有形文化財となった。女子校から共学校となったのは、2002年。今回の取材では、女子校時代の卒業生でもあり、今は保護者として同校を訪れるHさんと、現在高校1年生(イノベーションコース)のYさんに、親子2代で通う同校の魅力について聞いた。

親子2代で東京立正に入学

▶︎写真左より:Yさん、Hさん(母)

1990年代、女子校だった同校で中高の6年間を過ごしたHさん。とても楽しく過ごすことができたと、当時を振り返る。

「母は自分が私立に通っていたので、娘の私も私立に通わせたいと考えていました。女の子なら女子校がいいというイメージもあり、家から通いやすかった東京立正に入学。当時も先生方は、とてもフレンドリーでした。厳しい面もありましたが、そこには優しさがあることがわかります。当時はやんちゃなグループもありましたが、頭ごなしに叱ることはありません。彼女たちの言い分も一度は受け止めて、厳しくするべきところは厳しく指導していました。在学中の思い出として一番印象に残っているのは、高2の大掃除です。修了式の後にワックスがけをしていたときに、みんなで鬼ごっこをして遊んでいました。滑って転んだ私は骨折してしまい『何をやっていたんだ』と先生に呆れられたことを今でも覚えています。それ以来、校内で有名になってしまいました(笑)」(Hさん)

息子のYさんは、中学から同校に入学して、現在は高校のイノベーションコースで学んでいる。

「地元の中学にはあまり行きたくなかったので、中学受験しようと思ったら、母から東京立正がいいよと勧められました。他校も検討しましたが、東京立正は先生と生徒の距離が近く、スポーツも強いのでいいなと思いました。学校説明会や文化祭に行ったときは、案内などをしてくれた在校生が優しかったです。実際に入学してみると、先生は生徒が困っていたら寄り添って話を聞いてくれるし、距離感もいい感じだと思いました。部活は中学校ではバレーボール部、今はサッカー部で頑張っています」(Yさん)

Yさんの受験校選びでは、学校訪問をした際には必ず門を出た後に、雰囲気などの感想をYさんに聞いていたというHさん。

「東京立正の文化祭には、Yが小5と小6のときに来ています。先生方が私のことを覚えていてくれたので、息子も温かく迎えてもらえました。門を出た後に『どうだった?』と印象を聞いたら『明るくていいね!』と言っていたことを覚えています」(Hさん)

中学校での思い出

Yさんが中学校時代で印象に残っているのは、中3の運動会に向けた練習での出来事。

「楽しかったことはたくさんありますが、運動会の予行練習が印象に残っています。僕は足が速くて余裕でゴールできそうだったので、周りの人たちからスキップでゴールしてみたらと言われたんです。それに乗って、カーブの終わりでスキップしたら左の側副靱帯を痛めてしまいました。かなり痛い思いをしたので、周りに乗せられてはだめだと痛感した思い出です」(Yさん)

同校の中3は、カナダのトロントでホームステイをしながら9日間の海外研修を行うことになっている。しかし、昨年度はコロナの影響でカナダへは行くことができなかったので、静岡県にある「Language Village(ランゲッジヴィレッジ)」で語学研修を実施した。生徒たちは「日本語禁止」というルールのもとで過ごし、電話対応のロールプレイやピザの注文の仕方なども体験したという。

「日本語禁止で過ごすのは難しかったので、最初はみんな無口になりました(笑)。日本語を話したらジャンプするというペナルティがあったりして、かなりきつかったです。ビリヤードをしたり、あまり話したことのなかった子と仲良くなることもでき、最終日には富士急ハイランドにも行って、とても楽しい3泊4日でした」(Yさん)

高入生から刺激を受けて劇的に変化

中学校時代は、楽しい思い出がたくさんあったというYさん。高校生になったら、勉強に対する意欲が高まってきたという。

「勉強で躓いたら、教科担当の先生にすぐに聞いたほうがいいと思います。中学生の頃はそうしていなかったのですが、高1になってからわからないところを先生に聞いたら、すごくわかりやすく教えてくれました。中学生のときは、テストの3日前ぐらいに勉強する程度で、勉強は憂鬱でしかなかったです。そんな気持ちが、高校生になったら変わりました。初めての中間テストで、勉強が楽しいと思えるようになったのです。それからは、何日かおきに図書館で勉強するようになりました。中学は1クラスだけでしたが、高入生が入ってきて人数も増えたので、いろいろなことが面白いと感じるようになったと思います。高入生から刺激を受けて、勉強も頑張ってみようという気持ちになりました」(Yさん)

Yさんの勉強に対する気持ちの変化は、母親であるHさんも感じ取っていた。

「中学生の頃は、小学生とそれほど変わらない感じで、テスト前も全然勉強しませんでした。高校には、レベルが高い子も入ってきたのでよい刺激を受けて、勉強も楽しいと言うようになったんです。本人がすごく楽しんでいることが、家族にも伝わってきます。文化祭で担任の先生にお会いしたときも、高校生になってから変わって、よく頑張っていると言っていただきました」(Hさん)

イノベーションコースでは、高校2年次にカンボジアでの「課題解決型海外研修」を実施。カンボジアの高校生と直接交流することが、大きな目的となっている。

「カンボジア料理を食べたことがないので、ぜひ食べてみたいと思っています。クラスにブラジル人とのハーフの友達がいて、 異文化交流的なことも体験しているので、カンボジアの人たちとも交流してみたいです」(Yさん)

曾祖父から受け継いだ「正義感」

中高6年間を同校で過ごしたHさんは、東京家政学院短期大学へ進学。

「父が厳しい人で、社会に出るにあたって学歴を重視していたので、大学か短大に行きなさいと言われたんです。私自身は服飾を学びたかったので、専門学校の資料を集めて見せましたが、父を納得させることはできませんでした。それで大学受験をすることになったのですが、やる気も出なかったのでなかなかよい結果が出せません。最後に先生が東京家政学院の短大を勧めてくれて、なんとか合格できたのです。厳しい父と自分の気持ちとのせめぎ合いでしたが、短大に受かったので父は喜んでくれました。父は私の将来を心配していたと思うので、安心させてあげられたのはよかったと思っています」(Hさん)

息子のYさんは、現時点ではっきりとした将来の目標を持っている。

「将来は、警察官になりたいと思っています。ひいおじいちゃんが警察官だったので、事件の話などを聞くうちに憧れるようになりました。テレビでは警察密着番組などもよく観ます。ひいおじいちゃんからも、Yには体を張って、人を助ける仕事が向いているよと言われました。卒業後は、大学へ行ってから採用試験を受けて警察学校に通うという道を目指します」(Yさん)

母親のHさんから見ても、Yさんは正義感が強く、警察官に向いているという。

「正義感が強く、曲がったことが嫌いです。正義感の強さは、祖父からしっかりと受け継いでいると思います」(Hさん)

晴れた日に窓から見える美しい夕日と富士山

教室がある校舎などは当時と変わっていないが、Hさんにとって思い出深い場所は、残念ながらなくなってしまったという。

「プールから出た後に入るお風呂がなくなってしまったと聞いて、とても残念でした。プールの冷たい水に入った後に、暖まるために入ったお風呂が懐かしいです。プールの時間にしか入れず、次の授業に少し遅れても怒られないことなど、いろいろな思い出があります」(Hさん)

一方、Yさんは、好きな場所を2つ教えてくれた。

「屋上へ続く階段が、みんなのたまり場になっていて気に入っています。もう1つは、廊下の窓です。ここから見る夕日がとても綺麗で、晴れていると遠くに富士山も見えます。廊下の窓から見る夕日と富士山は、生徒たちはみんな好きです」(Yさん)

「変わらぬよさ」と「変わったよさ」

Hさんが同校を卒業してから20年以上が経ち、保護者として学校を訪れて感じたことは共学のよさだという。

「女子校もよかったですが、男子が入ってより明るくなったと思います。特に、体育祭で高校生の男子全員で行うエッサッサ*を見たら、とても格好よくて感動しました。息子の成長した姿への思いもありますが、女子校で過ごした自分が味わったことのない雰囲気だったからです。改めて、共学のよさを実感しました」(Hさん)

*エッサッサは、日体大伝統の応援スタイル。日体大出身の先生から指導を受けて、高校の男子全員で行うようになった。太鼓と声で力強い演技を披露し、高3が中心となって後輩に受け継がれていく。

一方で、教員たちの温かさは今も変わっていないと、Hさんは語る。

「先生方は相変わらず優しくて、親身になって相談に乗ってくれるアットホームな学校です。中学校の卒業式で保護者として謝辞を読ませてもらったのですが、その姿を見て『成長したな』と言ってくれた先生もいました。20年以上も前に卒業した生徒の成長を、今も見守ってくれています。そんな熱い先生が多いのは、変わらぬよさだと思います」(Hさん)

<取材を終えて>
当時教科担当をしていた先生とHさんが話していると、先生からは同級生たちの名前もスラスラと出てきていた。卒業してから20年以上も経っているのに、2人は一瞬にして当時に戻ったかのようだった。当時から生徒一人ひとりとしっかりと向き合ってきたからこそ、それだけ鮮明に覚えているのだと思う。学校説明会や個別相談で、実際に先生方と話をしてみれば、生徒への熱い思いが伝わってくるだろう。

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