スクール特集(白百合学園中学校の特色のある教育 #5)
いただいた命を他者のためにどう 尽くすことができるか。生き方を考える宗教教育
キリスト教カトリック精神を基盤とする教育を実践している白百合学園中学高等学校。社会の中で自分を活かし、貢献する道を考える宗教教育を行っているという。その学びと活動を取材した。
宗教教育を通じて、豊かな人格を育てる
「1881年の創立以来、学校の根幹にあるのがキリスト教教育です。宗教の授業やカトリック精神に基づく日々のさまざまな活動を通じて、生徒の豊かな人格の育成を図っています」と入試広報部長の瀧澤裕子先生は、こう話す。「一人ひとりが神様からいただいたかけがえのない命に感謝し、自分に与えられた賜物を『どこで役立てることができるか』『どのように社会に貢献できるか』ということを考え、自身で気づくことを大切にしています。そして、何を必要とされているかに気づいて、それに応えられるように、自分を磨く努力をしていきます」
宗教科の久原初実先生は「おそらく生徒は『何のために勉強をするのか?』という疑問を一度は抱くと思うのですが、宗教教育には『他者のために、自分の能力を磨く』という考え方があります」と言う。「もちろん勉強で培ったものは、自分の利益になります。しかし、それを人のために用いることで人が喜び、自分自身も喜びを感じる。そこに勉強が活かされるのだと思います。生徒がそんな循環に気づいていけるよう、宗教の授業を組み立てています」
同校では6年間、週1時間の宗教の授業を実施し、中1生は最初に白百合学園の創立の歴史を学ぶ。瀧澤先生が次のように説明する。「本学園の母体はシャルトル聖パウロ修道女会です。17世紀末のフランスのルヴェヴィルという小さな村で、4人の若い女性たちが貧困や病気で苦しんでいる人々に奉仕したところから歴史が始まりました。その活動は五大陸40か国に広がり、遠い日本にも今から142年前に函館に3人の修道女が来て、言葉も風習もわからないまま、困っている人たちに手を差し伸べ、養護施設と学校を開きました。その後、日本各地で、学園の設立に尽力されました。まさに他者のために惜しみなく尽くすことをしてきたのです。このような学園の原点を踏まえたうえで、少しずつ聖書を学んでいきます」
久原先生によると、聖書にはさまざまなたとえ話が書かれており、中には一般社会の価値観と隔たっているものもあるという。「その1つに『ぶどう園の労働者』という話があります。ぶどう園の主が、朝から働いていた人と夕方から働いた人に対して同じ報酬を渡す、というのが大まかな内容です。最初は、多くの生徒がこの話に違和感をおぼえ、中には憤慨する生徒もいます(笑)。しかし、学びを進めるうちに、“みんなが同じ幸せを共有することがベストである”ことに気づいていきます。
また『迷い出た羊』というたとえ話も、授業で取り上げたことがあります。これは、羊飼いが100匹の羊を飼っていて、そのうち1匹を見失い、99匹を置いて1匹を探しにいくという話です。一般的には、『残された99匹はどうなるのか?』と、多数側に立って考えるものですが、聖書では1匹の羊に思いを馳せ“個の大切さ”を説いています。
宗教の授業では、同じテーマの学習を次の学年でも繰り返すことがあります。そして、授業では必ず振り返りをするのですが、学年が上がるにつれて、聖書の価値観を理解していることが、生徒の文章から見て取れます」
▶︎入試広報部長 瀧澤裕子先生
▶︎宗教科 久原初実先生
学校、生徒有志でボランティアを実践
同校の1日は、朝のお祈りから始まる。瞑目し、自分の気持ちを神様に寄せて、心を整えるのだという。久原先生は「朝に心を静めて、いただいた一日をどう過ごすかという意識を持つことを大切にしています。終礼にもお祈りをして一日を振り返り、感謝をします」と話す。
また毎年、学園記念日とクリスマス、修養会、入学式、卒業式でミサを行っている。「修養会は学年別に2日間、学校内で、或いは教会を訪れて神父様の話を聞き、自分自身を顧みる大切な時間です。その話をもとにグループでディスカッションやプレゼンをしたりして、自分を見つめ、他者や社会との関わりを深く考えていきます。ある時、神父様が、超未熟児で生まれた赤ちゃんが5日間の生涯を終えた話をされたことがありました。私たちは5日間をおざなりに過ごしてしまうことがありますが、その赤ちゃんにとっては一生の長さであり、1日の重さについてみんなで考えました」。なお、ここ2年はコロナ禍のため、修養会はオンラインで実施しているそうだ。
ボランティア活動も積極的に行っている。全生徒が参加するクリスマス奉仕活動では、クリスマスカードやリースを手作りして高齢者に送ったり、福祉施設を訪問して、清掃の手伝いや音楽奉仕をしたりしている。東日本大震災の被災地でのボランティア活動も、2011年から継続して実施している。「10年を経て、活動内容が変わってきましたが、いつでも人々が求めることに寄り添う形で活動しています。昨年はコロナで現地訪問ができなかったため、岩手県大槌町の高校生とオンラインをつなぎ、苦労しているという町おこしについて、意見交換をしました」。瀧澤先生は、学校を卒業した後も、被災地ボランティアを続けている生徒がいると話す。
他にも生徒有志が主体となって、福島からの避難世帯を招いてクリスマス会やバザーを催したり、子どもたちに勉強を教えたりするなど、支援と共に交流の機会も作っている。「生徒たちは自然にボランティアをしたいという気持ちになるようで、その思いを学校も汲み取り、サポートをしています。昨年は、久原先生のクラスの高1生の発案で有志たちがマスクを手作りし、インドの施設に送りました。困っている人のために何かしたいと考え、実際に行動に移していることに生徒の成長を感じますね」と、瀧澤先生。また同校には、ボランティアに取り組む「小百合会」というクラブがあり、学園でもっとも歴史のある部活動であるという。
他者も自分も大事にする心を育成
同校は、英語・フランス語の外国語教育や国際教育にも力を注ぎ、その根底にも宗教教育の考えがあると、瀧澤先生は言う。「外国語を身につければ、それだけ世界を知ることができます。言語を通じて、国や文化、その言語を母語にしている人のことが、より理解できるからです。生徒には習得した言語の力を持って、広い世界で、様々な価値観をもった多くの人たちのことを理解し、自分にできることは何かを考えてほしいと思います」
また、宗教教育は自分の進路を考えるキャリア教育にもつながっている。「将来、自分はどこで必要とされるのか、どんな社会貢献ができるのかを考えながら、進路を決めていきます。本校は医療関係に進む生徒も多く、そこには、人を助けたいという気持ちがあるようですが、どの道においても、神さまから与えられた使命を懸命に果たそうとする姿があることを願っています」
このように 他者を思いやる心を育てる宗教教育だが、一方で「自分を追い詰めてまで、頑張らなくてもよいという自分の心を支える側面も持っています」と、久原先生は話す。「旧約聖書には、神様がすべての責任を取ってくれるという内容が記されています。大学受験などで追い詰められている時に、この言葉に救われたという生徒もいます。“ありのままの自分でよい”という自己肯定感を育むことも、宗教教育の重要な役割だと思います。生徒には“いただいた命を人のために活かすために勉強をしている”ことを頭の片隅において、自分の道を切り拓いてほしい。でも、苦しくなった時は逃げてもいいんだよ、いつでも神さまがついていてくださるということも伝えていきたいです。そして宗教教育を通じて、他者も自分も大事にする人に育ってほしいと願っています」
(取材を終えて)
初めは宗教教育に対して「善を行う」といった道徳のイメージを抱いていたが、取材を通して、どう生きるかを自分で考えることだと知った。また、印象深かったのは「自分の能力をどう活かすか」と自分主体の考え方ではなく「人のために自分の能力をどう活かすか、人に役立てるために自分を磨く」と、常に他者にベクトルを向けていることだ。しかし、人のためにと思う方が頑張れたり、喜びにもつながったりする。実は、生きやすい考え方なのではないかと感じた。